lecturer's blog

中の人→しがない大学教員。適度にフィクション。

割愛願いと大学教員の移籍

 コロナ対策に明け暮れた春も終わり、人事の季節がやって来た。既に動いているところも多いし、夏季休暇明けに本格始動というところも多いだろう。

 前回大学への就職の話を書いたので、今回は移籍の話をしたい。移籍というのは、学校教員統計調査による「転入」を指し、具体的には「大学、短期大学及び高等専門学校の本務教員から当該学校の本務教員として異動した」ことをいう。

 平成28年度の学校教員統計調査(直近)によれば、転入者は5,136名、うち大学からの移籍者が4,862名と9割以上を占める。また、転入者のうち年齢別の人数で最多なのは、35歳以上40歳未満で1,048名、次いで40歳以上45歳未満が919名、30歳以上35歳未満が790名となっており、30歳から45歳までで全体の半数を超える。

 大学教員の採用プロセスは前回の記事に書いたので参考にして欲しい。

keizaibakutothesecond.hatenablog.com

  今回の記事は、その続きである。

  大学教員の移籍のプロセスは、大雑把に言うと、「採用候補者の決定」⇒「決定の通知(内定)」⇒「候補者の意思表示」⇒「現在の勤務先での退職手続き」⇒「辞令交付」となる。

決定の通知

 決定の通知は、本人への通知と勤務先への通知に大別される。

 本人への通知は、採用選考に合格した旨伝える通知である。不採用の場合は、ほぼ文章による通知であるが、採用の場合は、電話等による口頭での通知と文書・メールによる通知に分かれる。候補者にとって、困るのは文書・メールによる通知を貰えないケースである。後述するが、大学教員は法律上はさておき、慣例上は退職の意思を示しただけで、即退職にはならない。要は決定の通知を貰ってから、少なくとも退職が承認されるまでは、「所属は現在の在籍校で、退職して別の大学等へ移籍を予定しているが、移籍できるかどうかは不明」という宙ぶらりんの状態を強いられる訳で、その意味でも、文書による通知は候補者にとっては命綱の存在なのだが…

 一方で勤務先(在籍校)への通知が、所謂「割愛願い」と呼ばれるものである。嘗ては、移籍校側の担当者が割愛願いを持参し、採用候補者の在籍校に赴き、「候補者を是非移籍させて頂きたい」と文字通り割愛を願い出たようだが、現在は割愛願いの郵送がほとんどである。割愛願いには法的な拘束力は全く無く、近年割愛願いをださない大学も増えていると聞く。

候補者の意思表示

 候補者の意思表示とは決定の通知を受けて、候補者が移籍するか、しないか意志表示をするものである。

 日本の大学では、採用後の待遇について詳らかにしていないケースが多い。応募の段階で分かっているのは授業の担当科目くらいで、職位、収入、研究環境(拘束日、非常勤講師の扱い等)、住環境…等採用が決まった段階(もしくは採用後)で初めて分かることが多い。

 なかなか悩ましいが、意思表示は採用決定連絡後、短期間のうちに求められるのが通例である。

現在の勤務先での退職手続き

 これが移籍の際、最大の関門である。移籍を承認するのは移籍前の勤務先(在籍校)であるので、在籍校の意思決定が重要な要素である。

 まず、大前提として、職業選択の自由がある以上、在籍校側が退職者を引き留める術はなく、民法の規定に従えば、2週間前に退職の予告をすれば離職できる…はずである。だから、よく言われる話ではあるが、退職で揉めた場合は裁判をすれば教員側が優位とされる。だが、大学の世界は狭く波風が立つことは少なくとも候補者本人や移籍校側にとっては好ましいことではないこと、大学という同じ業界での人材争奪戦であり、引き抜かれた在籍校側は単なる人材の喪失以上に評判やプライドを損なわれる面もあることから、在籍校側がゴネるケースもままある。

 勿論、候補者側(=移籍校側)の希望通りに退職できるケースが過半数と思うのだが、在籍校の主張が通り、希望通りに退職を認めないケースも残念ながらある。多くの場合、認めないといっても、半年~1年程度の着任先送りで決着するが、それでも候補者にとっては不安材料ではある。

 移籍校側の希望通りに退職を認めない理由としては、後任探しが難しい、資格関係・教職関係等で教員数が減ることで支障が出る、重要な学内プロジェクトを任せていて居てもらわないと困る…等が考えられる。候補者当人にはその理由は分かっているはずなので、在籍校の願いをすべて聞き入れる必要は無いが、後任を見つける、非常勤講師でコマの穴埋めをする、在籍校でのプロジェクトを一段落させる等、フォローはすべきであろう。また、移籍校も円満移籍のためにこれらのフォローを(学内規則を超えて)認めるケースも多い。

 このような条件折衝を経て、在籍校の意思決定機関(多くの場合は理事会)で退職が承認されれば、取り敢えず着任日に向けて、準備を進めることになる。

辞令交付

 様々な局面を乗り越え、移籍校で辞令交付を受ければ、取り敢えず移籍は完了となる。ただし、移籍後も様々な問題がある。

 職位に関しては、前任校時代と比較して、職位がそのまま、職位が上がる、職位が下がるの三通りがあるが、職位が下がる降格移籍の場合は、注意が必要である。

 降格移籍は採用面接後の内示の段階で告げられるケースが多いようだが、昇任の発議の厳しさは大学によりマチマチで、「前任校時代の職位、経歴はリセット」して昇任させるとなると、降格したまま数年(場合によっては10年以上)過ごさなければならない。また、降格移籍は前任校の心証がよくないので、結果として前任校との関係にひびが入ることもある。昇格移籍は余り心配ないと思うが、職位がそのままのケースでも先述したリセット基準で判断されると、(前任校基準より)昇任が遅れてしまうこともある。

 教員にとっての副業である、非常勤講師や委員等の兼職も大学によって基準が異なるので確認が必要になる。

 待遇に関しては、重要視するポイントが個々人で異なるので何とも言えないが、総合的に判断して「移籍先が良い」と思って選んだのなら、受け入れる他はないだろう。

困った時に…

 大学教員にとって、移籍はそんな珍しいことではない。ただ、移籍の話は余りオープンに語られないし、トラブルに巻き込まれた時に四面楚歌に陥りやすい。

 トラブルが発生しやすい、退職手続きに関して言うと、退職は出来る限り早めに言うことが大事である。大学には職務規定があって、退職の申し出期限は引き抜き防止も兼ねて、3~6ヶ月前とされていることが多い。早めに申し出れば、職務規定をクリア出来る場合もあるからだ。

 但し、大学に退職を申し出ると言っても、着任時直前に採用が決まるケースや、前述した通りに、口頭での内示のみや割愛願いが出されない場合(採用通知や割愛願いの発出が決定から時間がかかるケースも同様)は、なかなか言い出しづらい。梯子を外される可能性も少なからずある。ただ、そうでもあっても、早めに言うことで何らかの対応策が見いだされる可能性はある。

 また、移籍の話は同僚には相談できないので、学外でいざという時に頼れる人がいるに越したことはない。

 移籍話を事前に在籍校の関係者にどこまで話すべきかについては、ケースバイケースとしか言い様が無いが、例えば採用面接に呼ばれた段階でオープンにして、(在籍校側からみて)ショックを和らげてスムーズにいった例もあるようだ(ただ、若手はともかく中堅以上で、それなりに責任ある立場だと、このやり方は難しいかもしれない)。

 割愛願い(に端を発する教員の引き留め)に関して、時代錯誤な代物だと思うし、教員側にたってもっとドライに移籍出来れば良いのだが、昔からこの手の話はあるようだし、余程のことが無い限り、最終的にどこかで折り合えると思うので、感情的にならずに淡々とすべきことをする他はない。

 

 研究者にとって移籍は様々な面で飛躍のチャンスだし、受け入れ側も研究、教育等の貢献を期待している。引き抜かれた側は厳しいが、優秀な研究者はより良い環境に移るのが道理だろう。応募する方、採用する方、双方のご武運をお祈りします。