lecturer's blog

中の人→しがない大学教員。適度にフィクション。

大学教授になれる確率

 例の九大の事件から、オーバドクターや非常勤講師への関心が随分と高まっているように思う。大学を含めた研究業界を取り巻く環境の厳しさが報道されることで、一般の方にも理解されるようになってきたのだろう。

 前回のブログを書いたのは九大の事件直後の昨年9月で長い間放置していたのだが、近頃このブログそれなりに読まれていることが判明した。

keizaibakutothesecond.hatenablog.com

  そこで、要望に応えるべく続編を書いてみようと思い立った。タイトルは検索タイトルそのままの「大学教授になれる確率」である。

 

1.大学教授とは

 このブログの読者は、大学院を志望する学部生か、大学院生か、それ以上の研究歴を持った人のいずれかと想定するので、説明するほどでも無いと思うが、学校教育法第92条では、

大学には学長、教授、准教授、助教、助手及び事務職員を置かなければならない。ただし、教育研究上の組織編制として適切と認められる場合には、准教授、助教又は助手を置かないことができる。

 とあるので、大学には大学教授は必置の職階である。また同条第6項には、教授の資質及び職務として以下のように書かれている。

教授は、専攻分野について、教育上、研究上又は実務上の特に優れた知識、能力及び実績を有する者であつて、学生を教授し、その研究を指導し、又は研究に従事する。

 大学設置基準第14条には、大学教授の資格について書かれており、「博士の学位、研究上の業績」(第1項)、「大学において教授、准教授又は専任の講師の経歴」(第4項)とあるが、第2項では、「研究上の業績が前号の者に準ずると認められる者」、第6項では、「専攻分野について、特に優れた知識及び経験を有すると認められる者」とあり、絶対必要な資格について特段規定されたものは無い。

2.データから見る大学教授

 前回の記事でも利用した学校教員統計調査によれば、平成28年度(最新)の教授の人数は70,899人、本務教員数184,273人に占める割合は38.5%となっており、教授の平均年齢は58.0歳となっている。平成10年度の同統計では、教授の人数は55,775人、本務教員数146,153人に占める割合は38.2%、教授の平均年齢は57.0歳となっている。

  大学の本務教員数は約14万人から18万人に4万人程増加しているので、教授の人数は増えているが、その割合はほとんど変わっていない。また、平成10年度から28年度に間に、国立大学が独立行政法人化され、定年が私立大学の標準であった65歳に段階的に引き上げられたにもかかわらず、教授の平均年齢は1歳程度しか上昇していない。

 一方で平成10年から28年の間に変化が著しいのは、大学教授の昇任年齢である。個別の昇任年齢は勿論分からないが、学校教員統計調査において、職位の人数が「教授>准教授」となる年齢は、平成10年は48歳、平成28年が50歳である。各年代の教員数に占める教授の割合が50%を超える年齢は、平成10年が49歳以上、平成28年が52歳以上である。昇任年齢は着実に遅くなっている。

 

3.大学教授になれる確率

 大学教授になれる確率を考える前に、まず准教授になれる確率を考えてみたい。言うまでもなく、一部の実務教員を除けば、准教授であることが教授への前提条件であろう。なお、平成10年度の助教授の人数は33,470人で全教員に占める割合は22.9%平成28年度の准教授の人数は44,039人で同割合は23.9%であり、僅かながら全教員に占める准教授の割合は増加している。

  

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1967,70,73,76,79,82年生の全大学教員数に占める准教授人数の割合

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1968年、71年、74年、77年、80年、83年生の大学教員全体に占める准教授の割合

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1969,72,75,78,81,84年生の全大学教員に占める准教授人数の割合

 一目瞭然ではあるが、准教授への昇任が年を追うにつれ厳しくなっている。特に実線で表される大学院重点化世代の低下が顕著である。36歳の段階で、1971年生の大学教員のうち24.8%が准教授だったのが、1980年生ではその割合が18.3%まで低下している。42歳の段階で、1974年生までは准教授の割合は40%を超えているが、75年生は41歳の段階で、76年生は40歳の段階で40%に届かず、77年生以降は現状の昇任ペースで行くと40代前半では40%には届かない。

 前回の記事で分析したように、39歳の段階で、1968年生の大学教員数は4,898人に対して、1977年生の大学教員数は5,427人500人以上多い。しかし、1968年生の准教授の人数は1,887人に対して、1977年生の准教授の人数は1,664人であり、200人以上少なくなっている同様に40歳の段階で、1967年生の大学教員数5,023人(うち准教授2,075人)、1976年生の大学教員数5,553人(うち准教授1,906人、38歳の段階で、1969年生の大学教員数5,008人(うち准教授1,700人)、1978年生の大学教員数5,122人(うち准教授1,366人)。つまり、同年齢で比較すると若い世代程、大学教員数自体は増えているのに、准教授に昇任できる人は減っている。但し、全教員に占める准教授の割合は僅かながら増加しているので、ポスト的に准教授になれないというより、准教授への昇任が遅れていると考えられる。

 前回の記事では、大学院重点化以降世代にあたる1983年生は、大学教員になれる確率が底を打ったと書いたが、准教授昇任の割合に関しては底を打つどころか1980年生を下回っているのが気掛かりである。

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1967年,70年,73年,76年生まれの全教員に占める教授の割合

 

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1968年、71年、74年、77年生の大学教員に占める教授の割合

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1969年,72年,75年,78年生まれの大学教員に占める教授の割合

 一方で教授への昇任はどうであろうか?上図では37歳以下、1979年生まれより若い世代は、教授がほとんどいないので割愛している。45歳の段階で1968年生と1971年生の教授の割合が逆転しているが、准教授と同様教授への昇任は年を追うごとに遅くなっている。

 39歳の段階で、1968年生の教授の人数は114人に対して、71年は131人、74年は99人、77年生は101人(同様に40歳の段階での教授人数は67年生178人、70年生187人、73年生164人、76年生160人41歳の段階での教授人数は69年生309人、72年生318人、75年生289人)となっている。

   教授の割合は、1968年生が48歳で32.3%、1971年生が45歳で19.1%となっている。前回の記事で求めた大学教員になれる確率(大学本務教員数/大学院博士課程入学者数)は、それぞれ49.6%、40.0%なので、両者の積を求めると2016年段階で教授になれる確率は、48歳で16.04%、45歳で7.66%となる。

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年齢別大学教授になれる確率(2016年 大学教授数/博士課程入学者数)


4.最後に

 3.で求めた教授になれる確率、自分の感覚ではかなり低いなという気がしているが、実際問題として、50歳過ぎの准教授は珍しくない。全教員がPIである文系分野と研究室に複数の教員が関与する自然科学系では、自ずと教授の役割は異なるから、自分の研究分野によってその感想は異なるのだろう。

 要因についてこの統計からさらなる分析をすることは難しいが、一つ気になるのは国立大学の教員構成である。

 平成10年度に全教員に占める教授の割合が33.7%であったのが、徐々に教授の割合は増加し、平成19年度には36.3%にまで増加している(因みに同年度の国公私立大学の全教員に占める教授の割合は40.4%と40%を超えている)。それが徐々に減少し、平成28年度には33.7%と平成10年度水準にまで戻っている。おそらくは、国立大学が独立行政法人化され、多くの大学で定年延長されたことにより教授の数が一時的に増加したもののと思われる。そして、残念ながら定年を迎えた教授の後任を准教授以下で補職しているのだろう。

 また、今後の予測としては、准教授への昇任年齢が上昇していることから、暫くは教授昇任年齢の上昇が見込まれる。ただ、平成28年度においても55歳~60歳の教員の91.7%が教授なので、テニュアを取得できれば教授にはなれるだろう。

 新聞報道によれば、国立大学の教員には今後年棒制が導入されるらしいし(まあ一部の教員の給与は増えるのでしょうが、大部分の教員は…)、明るい話題に乏しいと言わざるを得ない大学業界ではあるが、この記事がこれからアカデミックを目指す人に、少しでも参考になれば幸いである。